政治には「不明朗」なお金の流れがあるものだ Unclear Money

これは命題としては「真」でしょう。

たとえば......

もしあなたが政治家だとして、農業関係の交渉をひそかにある国に行くとします。この交渉で、他国を出し抜きたい。農産物の輸出入に、他の国よりもリードしておきたい。そのために、相手の政府や行政官の高官をひそかに会う。

こんなアポが取れたとします。


その国に行くことをあまり人には知られたくないですし、ましてや、空港とかで目撃もされたくない。

こうなると飛行機では、ビジネスかファーストクラスを使うしかないでしょう。先にチェックインでき、先に飛行機から出れますから。また遠方であれば、身体の疲労度も段違いでしょう。すぐに仕事の体制に入れます。

ホテルはいいホテルに泊まります。一般的にいえば、格式があるホテル。
それはなぜか?

相手は、連絡先をホテルと思っているわけですが、そういったホテルに泊まっていないと、予算がないのか?とか本当に政治家としてVIPなのか?と疑われます。

そうすると、たとえば欧州やアメリカ大陸に行くにも、お金がかかります。私設秘書も一緒であれば、倍、かかります。


こういう感覚は「専業主婦」感覚からは大きく離れているでしょう。もったいない。格安航空券で、ホテルはビジネスホテルbudget hotelのようなところに泊まりましょう、ということです。ハイヤーやリムジンlimoなどはもってのほか。それは「主婦」からすれば当たり前でしょうし、僕からしても当たり前。

しかし、実態はこうなのです。小額をけちって、大きな交渉に失敗する一因を作ると、それは国益からみたら大損失でしょう。


たしかに、日本の政治家は、不明な会計や、不必要な料亭政治などもあるとは言えるでしょう。しかし、必要な料亭政治もあるかもしれない。

そして、政治家が恐れるのは、いつ、どこで、誰と会ったか? これを知られることでしょう。自分のいま考えていることがわかってしまうからです。これからの方針や、根回しが知れてしまう。

それでも、あらゆる支出に、領収書が必要でしょうか??




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この記事へのコメント

ぺこ
2007年04月24日 21:49
こんばんわ

知りたがる好奇心は別で発散させたいです。知る必要があることを知ろうとせず、そうでないことを知ろうとする。

意味の無い行為ではないと思いますが、知ることに何かしらの責任は伴わないのでしょうか?

私はあると感じる時があります。
田中 公一朗
2007年04月24日 22:11
こんばんは。

まったく同感です。
つまり、なんでもかんでも情報開示をすべきかどうか? 開示がいつもいいわけではない、ということかしら?(たとえば20年後に公開するとかね)。

政治資金をいちいち報告することは意味がないとは言わないけれど、その報告で失うものも大きく、その責任は誰が取るのか?ということでしょうね。

「大衆」と政治家の、「知りたいこと」や「知らせるべきこと」が、現在ズレていると思います。

「政治のムダを省け!!」「そうだ~」「天下り反対!!」「そうだ~」ということでしょう。

民主制には大きな問題、いや欠陥があります。さまざまな欠陥。中産階級が崩壊すると、その欠陥が露呈するんでしょうね。
ぺこ1
2007年04月25日 22:56
頂いたコメントの2段落目まで読んで、
「私が言いたかったのはこういうことか」と納得しています。ありがとうございます。

そうです、経緯を知らなくていい情報もあると思います。時期をずらして開示するという方法もありますね。気付きませんでした。

私も含め「大衆」は何か知らなくてはいけないことがあるのは感覚で分かっているのですが、知るべきことが何なのかを知らないのかもしれません。
佐藤優さんの言葉をかりれば、それは「思考する世論」ではなくただの世論だから。ということでしょうか。??

もしそうであれば、領収書の開示ということから「大衆」が何かを知るために“分かりやすさ”を求めてしまっていると感じました。メディアには、世論を→「思考する世論」へ変える媒介となってほしいです。
ぺこ2
2007年04月25日 22:57
ぺこ1の続きです。


そうすれば、
>「大衆」と政治家の、「知りたいこと」や「知らせるべきこと」が、現在ズレていると思います。

このズレを縮めようとする人は増えてくるでしょうか?
このままでは「大衆」の、政治とはあまり関係無い憂さを晴らすためのはけ口に、政治家批判が行われ続けると思いました。

ズレについて、4/22に書かれていた記事「ライフ・イン・スポート Sunday Sports in the Park 」を思い出しました。・・・少し似ている気がします。
田中 公一朗
2007年04月25日 23:37
民主制では、選挙民が「公正」で、「的確」な「判断」をすることが期待されています。圧倒的な数の中産階級が、そこそこの長期的に正しい判定を下すこと。
そして、それを代理の人に委託すること。代・議・士ですね。

現在の問題は、
①佐藤優氏の表現でいえば「思考する世論」が黙ってしまっていること②中産階級の労働強度が強すぎて、安易な判断に流れていること③マス・メディアになにも期待できないこと。マス=大衆向けメディアという時点で、「思考する『大衆』」が必須なのですが、それが見当たらない、ということですね。

エリート主義には、個人的にはまったく反対ですが、かといって、では誰が判断するのか?という主体が見つからない。それが、外交的孤立、バッシング、反米や、反中国、要するに政治的な空白になっていると思います。
そこに勝谷誠彦のような、思想的ポジションが欠如した、状況主義者(場合によって言うことが違う)が出てくる。そういうことじゃないかしら。

スポーツと似ている・・・うーん、どうかしらね。考えてみます。
ぺこ
2007年05月01日 23:50
こんばんは。
②についてです。

日本は、他国からみたら働きすぎといわれることがありますが、そんなに働かないと日本ではやっていけないんでしょうか?
田中 公一朗
2007年05月03日 00:02
日本は、といった場合、誰を指すかですね。所得がうんと低い層と、むしろ高い層の労働強度はとても高いと思います。いっぽうで、昼間にパチンコ屋を覗くと、どうみても働き盛りの男女がスロットなりを真剣にやっています。

それから、他国、ですが、たとえば欧米、それから、東アジア、東南アジアの人たちはよく働きますね。ヨーロッパ企業の指導者層の労働時間はきわめて長い。中流階層は、週40時間を切っているとことが多いでしょう。

日本がやっていけない、かどうかには答えようがないのですが、ある条件の個人は働かないと食事代も出ないか、あるいは自分のポジションや所得をさらに上げようとして睡眠時間を削っているということだと思います。

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