アフォリズム、その9

人は「奴隷状態」にならないと、自分を主体であると考えない。「奴隷状態」がなければ、主体の消失といったようなポストモダニズム的な表現が当てはまる。そして「奴隷状態」を自ら択ぶ人も存在する。


いまは、奴隷制が復活した時代である。



法律をどうするか、憲法をどうするかを考えるのがいちばん始めなのではない。市民にとっての権利や義務、正義や公正さといったことを考えるのが、なによりも先である。その後に憲法の議論がやっとはじまる。



歴史区分。以前書いたことは不正確である。情報は"まだら"に分配されているものだ。世界を統一的な尺度で区分すること自体が間違いの元凶だ。
http://extra.at.webry.info/200704/article_7.html
これでは単に知識主義的であるだけだ。



「わたしの書物を外界に向けられた双眼鏡だと思ってみたまえ、さてそこでそいつがきみの目にうまくあわないなら、別のをかけてみればよい。必然的に戦闘用具たるべき自分のめがねは、自分でさがしあてるのだ」
(プルースト。ただし引用は、「フーコー・コレクション 4 権力・監禁」、ちくま学芸文庫、p.82のドゥルーズの発言内より)。



北朝鮮は予想より早く崩壊する。その際の準備はどの程度できているのだろうか? 自治体、政府、マスコミ。
移民、難民。内戦は可能性としては低い。統一コリアの誕生。旧韓国経由での人の大量流入。



愛Loveという概念は歴史的なもので、いまの「愛」は、すでに契約関係にすり替わりつつある。「わたしがなにかするから、かわりになにかをしてくれ」 これが愛だというのである。



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