アフォリズム、その12

台風自身は、台風の存在を当然のことと考えるであろう。もし台風に自己意識があったならば。


世界というものはいつも小さい。もし仮に、わたしたちが宇宙を行き来できるようになっても、宇宙を広大と考えることはないだろう。なぜならこの場合、宇宙が有限であるからだ。退屈な移動はあるかもしれないが、それは有限であるから退屈なのだ。

無限に対しては、退屈という概念が機能しない。

映像。
映像には枠がある。たとえば、人間の視覚には、左右240度の視界しか見えないという枠がある。フレームである。

それを明確に認識しているのが演劇家や演出家であって、舞台のプロセミアム(額縁)のなかで、演技は進行する。


都市はある程度小さいほうがよい。人間のスケールにあった適性規模というものが存在する。たとえば、バンコクや上海、ニューヨークやニューデリー、東京はあきらかに規模が大きすぎる。


人が音楽に感動する理由。
情動の機能と音階や音色が似ているからなのだろうか? そういうことではたぶんない。


自分からみれば、複製が盛んになったことで、むしろすべてのものが一回性を帯びたように思える。べンヤミンの「アウラ」は、複製芸術の初期であったからこそ強調された。そして強調されすぎた。


あらゆる空間は十字路cross roadになっている。というよりも空間はカーブした十字路の構造を取っている。もちろん、壊れたり、つながっていない十字路もある。


怠慢。現実化することへの恐怖。あるいは現実化できないことの恐怖。つまり、失敗したらどうしよう?ということ。


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