アフォリズム、その15

女性は、「負ける」こと自体にはそれほど執着しない。ただ、誰かから「負けだよね」と言われることは是が非でも避けようとする。勝ち負けの対象は問わない。


女性は細部を見る。


神は偉大である。だから神は存在しない。
神は偉大である。しかし神は存在しない。
どちらも正しい。


ただ音楽だけが、神の実在を信じさせる。


30歳を過ぎて、まだ夢に生きている人を見るのが痛々しいのはなぜだろう。それが25歳であれば美しいものなのに。


とりあえず、まずやってみる。

無知とは罪である。それだけで充分に罪である。

知的でないことは、知的でないことである。これは罪ではない。微罪である。


バカにも種類がある。蛾に種類があるのと同じことである。ただ自分もバカなので、分類がでいない。

賢い人は、サッカー選手にはならないし、女子アナにもならない。例外はあるが、それはその職業を辞めるくらい賢いからだ。


どのような言葉も取りようによっては棘がある。


人は会社ではない。人が株券ではないのと同じである。


陽が昇るから、明日が来る。


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この記事へのコメント

derek
2007年11月12日 00:17
横目で感知する世界は、不確かである

当たり前である
田中 公一朗
2007年11月12日 02:16
横目で感じとる世界は、確かに不確かである。しかし、不確かさは、確かさへの唯一の門である。

そして横目は、「冷や汗」への可能性も同時に開く。
derek
2007年11月12日 23:55
不確かさは、確かさへの唯一の門である。
見事である。不確かさの継続は時に、
幸福をもたらす。

それはなぜか
田中 公一朗
2007年11月19日 02:09
人は、たいていの物事に馴れる。ただし激しい苦痛だけは除く。

人は、不幸という状態にも馴れる。諦めの感覚にひたることで馴れる。「悲劇」の中の自分、という設定を人は好む。
「わたしはこんなに悲劇だわ! 誰かわたしを憐れんで!」
そこで、自分で自分を憐れむ。

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