加害者と被害者、そして声 Crime and Voices

最近の日本語メディアの報道は、感情的に報道することを目的にしているようです。視聴率のことを考えれば、仕方がないかもしれません。

たとえば、
医療過誤や官僚の問題。交通事故。各種偽装。

その際に、「被害者」の声を大きく取り上げ、場合によっては落涙のシーンをなんども流します。


もちろん、犯罪を犯されて怪我や命を失う側からすれば、犯罪者のことは決して許せないでしょう。なぜなら、ある日突然「平安で、幸せな生活」が飲酒運転で壊されたわけですから。

もし感情が強ければ、被害者が個人的に、あたかも映画のように<復讐>をすればいいかもしれません。しかしながら、わたしたちの社会は、それ、つまり私憤を加害者に対して自分ではらしてはならない、ということが基盤になっています。

そしてそのために裁判所が設置されている。

いわば国家権力によって代理的に、判断をして、刑罰も加えてもらうというのがベースでしょう。法的体系も国家への委任という形になっています。


ところが、これだけ、被害者(ほんとうに同情します。個人的には肝炎の問題など人ごととは思えません)の、訴えや涙が流されれば、裁判官も影響を受けます。裁判官も当然のことながら世論にひきずられる。

法はそれほど絶対のものではなく、変わりうるのもであり、また社会的な合意のもとに機能するのですから、社会の声が、「この刑罰は軽い」となれば、どうしても重い量刑を課す方向に判決が向かいます。裁判官が受けるプレッシャー。


一方の加害者、そして加害者の家族や親族は、犯罪を犯したことはさておき、その刑罰が決まった過程については疑問をもつでしょう。

そして、そのもっとも大きなケースが死刑でしょう。


むずかしい問題です。


つまり、犯罪にはきちんとした刑罰を。しかし、それは犯罪者のその後の人生をすべて否定し、行き止まりにするためなのでしょうか。

そして凶悪犯の場合や、未成年の場合はどうしたらいいのでしょうか。


社会を恨む人を醸成してゆくことでいいのでしょうか。
人的権利の問題がどうこうと言っているのではないですし、また、被害者の心理は配慮されるべきです。しかし、被害者の憎しみだけをクローズアップすることが、方法的に正当なのでしょうか?








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この記事へのコメント

derek
2008年01月09日 22:45
考えさせられます。
メディアってどうあるべきなんですかね、事実を伝えるのはそう容易じゃないですし。

国民(視聴者)が支持しなくなったら事はうまく行かないのに、世論に従うと必ずしも正しい訳ではない。

BTW今ってすごい「空気」が重んじられている時代な気がします。周りとコンセンサスがあることが大切。みたいな。KYなんて正にその風潮をあらわしている気がします。
田中 公一朗
2008年01月09日 23:45
通常、こういうエントリーを書くと、「あなたは冷たい」「子どもを持ったことがないから、こういうことを書くんだ」なんていう反論が来そうですが、そういうことではないんです。

KYについては、むしろ逆でしょう。共有するものが少ないから、せめて雰囲気を共有したい。でないと、コミュニケーションのコンテクストが設定できない。それを避けるためにKYと呼ぶんじゃないですか??

いままでの「リベラル派」は、世論は常に正しい、という前提があったように思います。たとえばケニヤの例でもそうですが、そうそう世論(市民、大衆、人々、世間などといろいろに呼ばれますが)が「長期的に」正しいとはいえない。世界史上ではそういう例はきわめてたくさんあります。
こういうと、ファシストとか呼ばれるんだよなあww
きん
2008年01月14日 18:34
加害者と被害者。
言葉の意味は、あきらかに違っていたのに
被害者がどうしてもマスコミに取り上げられて
行き過ぎてしまっているところがある今日この頃。
本来の見るべき視点が、ずらされてしまっていることがあるような気がします。
昔の人はいいました。
新聞は、子どもは読んじゃいけないって。

マスコミの情報も、インターネットも、
自分なりに差し引いて読み、聞き、知って
判断できないと、ただ単に踊らされてしまうだけなのかもと、読みながら思いました。

むずかしいわ。

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