「知識」と上から目線、そして「感動」 Emontional Rescue

「自民党や民主党は日銀総裁も決められないで、なにをしてるんだ!」

「まったく最近の企業は、サービス残業ばかりで、倫理が欠けている」

「あの国は、ほんとうに非人道的で、ひどい」

「あの犯罪者は、死刑にすべきだ」

などと言うのは、日常的にもよく聴きますし、有名ブログでも眼にします。



しかし、ブログは説教の場なのでしょうか?



もちろん説教や、批判、非難は、場合によっては必要でしょう。ところが、現状に関する知識や条件に関する知を欠いたまま、実は現実にはかかわろうとしない姿勢があるから、身勝手な非難は行われます。ある種の愚痴です。


批判(ここでは非難に近い意味)をするなら、代案を出せ、という言葉が自分の周囲だけ?かどうかわかりませんが流行ったことがあります。
でもまったくそういうことだと思います。


問題点の把握には、知識はどうしても必要。そして「この部分をこうしたほうがいい」という行動可能な提案のほうがよほど有効です。


少なくとも、どこに問題点があるかを把握することでしょう。


そうでないと、ただただ感情的になり(たとえば北朝鮮や中国、ある種の犯罪者に対してのように)、感情を吐きだして、それですべてがいったん終わった気になるだけでしょう。


最近の感動ブームや、「泣ける」(一時的に逃避する?)、バッシングなどは「感情」emotionによるものでしょう。


自分のなかに、敵意、敵対する感情を醸成し、はぐくんでいるのです。「だれだれは、世の中から消えてほしい」。こういう言葉に代表されるような邪悪な感情。


その裏返しとして、一時だけの感動を求めようとしているのです。擬似的な共感compassion。しかしそれはあくまで擬似的であって、社会を変える動力dynamoにはなりにくいでしょう。ただ孤独感、いや孤独と疎外感だけが残るでしょう。


感情から現状の把握へ。それが知であり、知識でしょう。そして、現実の把握から、現実を変えることへ。







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