元気のない男子たち Sexsuality Inside Outside In

最近いまいち元気がない。なぜかなと思っていたら、いい女と付き合ってないからと気がついた。簡単なことでした。(自分はモテるわけでないので念のため)。


自分の場合を語ってもしょうがないし、ここは「子ども」も読むかもしれないので、あまり正確にはかけない。でもね、確実なのは、セックスの大事さです。


どうも自分のヒアリング調査によると、たいていの女子は、出し入れのみに終始しているらしい。いまどきのオトコは、ほんとダメ。これは比喩じゃなくて、ほんとダメだ。AVレベルのセックスをして、いったいなにが楽しいのか? 自分にはまったくわかりません。女子もAVくらいは軽く越えないと。

新たなるストーリーや野蛮さや野生さ、そして洗練がなくて、どうしてオモシロいのか?(だからいまの男子は、AVを見続けるんでしょう)。きわめてクリエイティヴな行為であるし、しかも身体的な接触もある。


自分のことは語らないと書いたばかりですが、でも自分はいまのところ同性愛者ではないので、自分の例にするしかない。

自分が気になるのは、女性はほとんどがファザコンだ、ということですね。だから悪いというわけじゃなくて、男性はすべてマザコンなんだから、これで五分と五分でしょう。「センターマン」ですね。


強い女を演じている、あるいは強い女子というのはきわめて魅力的で、それは、実際は強くないからです。この辺を崩してゆくのは、お互いに快楽でしょう。
要するに、いまのがんじがらめのセクシュアリティーが、うーんと解放される。パートナーの解放は自分の解放になる。違う世界が訪れるわけです。脱皮みたいなものかしらね。
そして完全に崩れてしまうと、自我もぐずぐずになってしまって、ほんとに楽。

奉仕系の女子が奉仕しても、当たり前。当たり前のことが当たり前に起きても、トリガーにはなりませんね。それはMでもなんでもない。



ただ現実には事情はもうちょっと複雑かもしれない。

自分のなかには女性性が強いんです。ホスピタリティーはあるんです(ほんとか?)
それが「強い女性」と係わるのは、すでにセクシュアリティーが倒錯しています。性別は男性の自分が女性的で、性別が女性が男性的ですから。そのうえで、言語的にも、物語的にも、生理的にも、自分が男性的に振る舞う。女性のなかに埋蔵されている女性性が出てくる(場合もある)。

そんなに複雑ではないか。とりあえず一対一だし。

ここにも圧倒的知性が必須なわけです。どうしてこんな大事なことが新聞やテレビで語られないのか、自分にはよくわからないなあ。やはり語れないか。きわめて私的で個別的なことだものですものね。これはエロではまったくないです。そうではなくて、生存や実存の問題でしょう。

しかし、そんなにセックスレスがお好きなんでしょうか。

それならそれで、自給自足経済でいいかもしれません。ただ、なにも起きないですよ。




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