21世紀はまだ訪れていない 21th Century not yet to come

1911年の欧州においてはまだ19世紀的なものがかろうじて残っていた、というよりより正確には、20世紀的なものが世界を覆おうとはしていたが、まだ政治、経済、文化上では19世紀であった。

それが1912年を契機に、「20世紀」がはじまった。


いくつか例示してみよう。

たとえば巨大テクノロジーの崩壊(タイタニック号の沈没)。1912年。

フロイトはユングと決定的に決別(精神分析の真の?誕生)。1912年。

バルカン戦争の勃発。これこそ、世界戦争world warのトリガー。1912年。

リヒャルト・シュトラウスの『ばらの騎士』が上演されるのが1910年。ストラビンスキー/ニジンスキーの『春の祭典』は1913年。

いわゆるコペンハーゲン解釈はこのころに淵源をもつ。ボーア、ハイゼンベルク、そしてシュレージンガー。

経済学では、ワルラス的一般均衡が完成はしていたが、問題点も認識されていた。

1913年にウィルソンがアメリカ大統領に就任。

フッサール、『純粋現象学および現象学的哲学の諸構想』。20世紀の世界観が出来上がる――フッサールとボーアなどはとても近い思考法をしているともいえる。


このように、暦年上の出来事と、実際の「20世紀」的なことは10年以上のズレがあります。同じようなことは現在に対してもいえるのではないでしょうか。
実際に、21世紀型という表現はしばしば使われるものの、しかし、根本的に前世紀と異なる現象、学問、芸術は起こっていないように見えます。


それがこのまま何年も進むのか、それとも新しいものが出てくるのか、そこはわかりません。そしてもはや新しいものなどないかもしれません。
自分は「新しい」ものは「ある」という立場ですし、また新しい時代はすでに透けて見えているのですが。だから「フューチャー」という名前の擬似新聞を作っているのです。見間違えかもしれません。







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