【追悼】 J・G・バラード J・G・Ballard, life and death

J・G・バラードがしばらく前に亡くなった。

いま振り返ってみると、バラードほど「追悼」という言葉がふさわしい人はいないかもしれない。というのも、彼は20世紀後半以降の内面を描いただけではなく、人の死と生と、消費社会の関連をテーマにした人はいないからだ。SF作品のなかで、つねに「死というもののあり方」を書こうとしていたように思われるのだ。

しかし一方で、彼ほど追悼という言葉がふさわしく「ない」人もいないかもしれない。それは20世紀的な内面や消費社会というのは、より深まった形でいまなお続いているからだ。


もちろんここでは作品としては映画でも有名な『クラッシュ』(クローネンバーグの映画はよく出来ていると思う)、あまり有名ではないが彼の代表作と呼んでいいだろう『スーパーカンヌ』などを念頭においている。

クラッシュ (創元SF文庫)
東京創元社
J.G. バラード


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スーパー・カンヌ
新潮社
J.G. バラード


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彼の小説を読して直してみようと思っているけれど、いままで読んだものの印象を総じていうと、「高度資本主義時代のカフカ」というところだ。暗くもないが明るくもない。緻密に事態を追ってゆく。そこから大きな像がスクリーンに映し出されてくる。そういうアプローチだ。カフカからユーモアを引き算した面はあるかもしれない。
そしてとくにインテリ(知識層)が中心になっているのもその特徴だろうか。


同じく亡くなったアーサー・クラークが、人間性、ということを中心に書き、また登場してくる人物も実に人間味にあふれていた。宇宙船はどんどんど地球から離れていった。

他方、バラードは、この地球の未来の、ハイテクのなかでの荒廃した都市(初期の『沈んだ世界』)と内面を描いた。正確にいうと内面がなくなって欲望だけで動かざるをえないブルジョワたちを描いた。


この2人がしばしば比べられるのも理由がないわけではない。どちらも人類の「次」の段階をテーマ(という言葉がふさわしければだが)を扱ったからだ。アーサー・クラークは『幼年期の終わり』で。そして、バラードは『スーパー・カンヌ』で。
そしていま、SFで書かれた主題に、SFではなく現実の生活のなかでかかりだしている。沈滞と停滞の、飽きてしまうような世界。そして人類が、人類自身が作り上げたガイノイドやロボットに取って代わられる、そんな時代。この2人の作品は、その意味でこそ、これからさらに生き続けるのだろう。この作品が読まれなくなるのは人類がいなくなったときであろう。

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)
光文社
クラーク


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