【書評】 坂井 克之 『「わたし」は脳から生まれる』




最近、脳に関する本をまとめて読んでいます。この作業は15年ほど前に一度やったことがありますが、当時と比較してあまりに長足の進歩と変化を遂げていることに驚いています。わかってきている「事実」のほうがさらに驚き。


この坂井克之さんの本は、過度の単純化を冷静にいさめつつ、いま「わかっていること」と「わかっていないこと」を、抑制の効いた姿勢で書いてらっしゃいます。ただし最終章だけは別!!ですが。


科学は、なにかを単純化して断定することではありません。過度に明快にし、例外を排除することでもありません。

しかし、いまの時代の流れとしては、そういう知的な行為はあまり人気がない。つまり、知性的であることは、どちらかというと面倒で不要なことと考えられがち。

坂井さんは、そういう風潮をやんわりとかわしながら、比喩を多用し、論点やわかっている点を明快にしています。



まず脳の活動測定からはじめ、色の認識、脳座標、青認識、意識の前の脳活動、脳と遺伝子の関係、脳の学習の可能性、BMI、眼球間闘争などについて、懇切丁寧に説明しています。

比較対照実験をしっかり書かれているところはことさら素晴らしい。類書にはなかなかありません。


例の、「心脳問題」に関しては、やや逃げているとも思うかもしれませんが、わかっていないことは、ここでは書かない、という意図を貫いている。


例外としては、「わたし」という現象は「虚構」であり、「わたし=自我」は説明原理にすぎない( p.154)、程度のことは述べておられます。


内面性という問題は、本当に手強いので、このエントリーでは書くべきではないですが、少なくとも主体性とか他者性といったことを考えるには、この本を共通認識としてほしいところ。


自分自身はこう考えます。「わたし」という虚構は、入れ子構造になっていて、他者の精神性を自分に映しこむことから来ると考えています。ですから、「心」が一度発生すると、これは他者に感染する、ということです。
これは合わせ鏡のような構造ではなく、リフレクティヴな過程だといえそうです。
(しかしこれは、素人の単なるアイデアにすぎません)。


クオリアなどという怪しげな概念を導入する必要はないでしょう。またクオリアであれば、間主観性と大差がなく、なにも説明したことになりません。


脳関係の本で、一冊だけ、しっかりした本を挙げろといわれたら、自分は現時点ではこれでしょう!と躊躇なくお薦めします。





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