アフォリズム、その33

人が、社会の歯車になったときに、社会の半導体になったときに、人はもっとも喜びを見いだす。自主性や自立といったことの虚構性があらわになるからだ。しかし、そのことを正面から言うと全体主義と勘違いされる。


かりにいま息苦しいとしよう。呼吸がしにくい状態だ。その状況から脱出する方法はある。ひとつは宗教だ。信仰をもつこと。もうひとつは、学問だ。真の学問は人の息苦しさを大幅に緩和する。


なにか大きな引き金を引ける。しかし、それがなんの引き金かわからない。そのとき人はその引き金を躊躇しないで引く。


自分は同じ間違いをしやすい人間であると自覚している人だけが歴史に興味をもつ。歴史書がそれほど売れないのはこれが理由だ。



教育。歴史とは暗記だという思い込み。これは教育が一定の効果を持つことの証左。



人は自分の背後が見えない。それが人の考え方を規定している。



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この記事へのコメント

ぺこ
2009年11月10日 04:35
例えば論文を書く場合、ある問いから答えを導くために、過去を再考して答えに関係する要因を一つ一つ分析します。扱う過去のスパンが短かかったり、扱う参考文献の数が少ない・質が悪かったりすると、答えを導く要因が少なく、根拠の薄い答えが出ます。

「過去に生きているよう」な現在生きている人達(ex.安藤さんやAI.wさん)は自分達の人生の中の過去だけでは十分に納得できる答えを導き出せないことを知っているから、自分が存在しない時の「過去」も思考の過程に取り入れるのでしょうか。

納得できる答えを求めようとすれば必然的に過去を、というより歴史を、再考しなおすようになるのかなと思いました。

21才、過去を持たざる者より。
田中公一朗
2009年11月10日 19:48
こんばんは。

安藤さんなどについてはよくわかりません。

過去を持たない人っていないのではとはちょっと思います。
人って、個人的な過去と集団的な過去を背景に生きてませんか?
たとえば神道や仏教、近代化は日本地域に住む人に影響を与えている…気がつくかどうかにかかわらず。

ちょっと話しがズレました(・_・;)
ぺこ
2009年11月12日 02:45
正確に言えば、過去を持たない人はいないと思います。生を受けた瞬間から時間は流れ始めますからね。ちょっと理屈っぽくなりました。

自分の過去を探る際、視野を広くしてかつ精密になれば、田中さんのおっしゃるような「神道や仏教・・・」という付箋が出てくるのだと思います。

田中さんからのお返事を読むまで
私は「集団的な過去」という点を見落としていました。

というと理解していただけるかもしれませんが
私が「過去を持たない」と言ったのは以下のような意味ででした。

個人的な過去ネタの1つとして恋愛を挙げます。一生という短い期間内では経験し足りない恋愛経験を映画や小説などで擬似体験します。すると無意識に「経験=過去」を取り入れたうえで、現在の行動にアプローチするようになる。

どういう作品を選ぶか、どういうシーンに影響されるかに広義の過去が影響してくるのでしょうかね・・・。

きちんとお返じになっているか若干不安です。

そもそも、なぜこんなことを考えているのかというと
自己満に終らない芸術がどんな人達から誕生しているのかを知りたいからなのです。田中さんの記事には色々ヒントがあるので参考にさせていただいています。

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