錯乱の情報社会 Delirious New Info World

情報社会とは使われすぎている言葉で、もはやそこにはとくにインパクトはない。では、現在を的確に捉えるために、もう少し違う表現を使ってみたらどうだろう。「情報社会とは錯乱と自閉である」と。


現在、先進国のある程度の所得層であれば、多種多様な情報に日々さらされ続けている。もはや、人間のキャパシティーを越えたのではないか、といえるほどだといえそうだ。もちろんこの表現は市川浩さんの『身の構造』の中の表現だ。


しかし市川さんが書いていたことは、いまから振り返るとまだまだ牧歌的であり、余裕すらあったとも言える。ケータイを2個持ち、オンラインゲームに接続し、ワンセグで地上波TVを話題についてゆくためだけに見る。メールの返信はすぐにしなければならない。映画は3Dであり、パナソニックのTVも3Dだ。twitterもmixiもFacebookもチェックしなければ。


ヒトは変わるべきである。生物学的進化をすべきである。視力、脳の記憶力、ミラーニューロンの反応の程度の精度の上昇。

しかしそれらが起きていない以上、現在の状況にヒトはそれなりに適応しているのかもしれない。だがだとしたら、この情報のノアの洪水に対する「徒労感」はなんなのか? これだけ情報にさらしても、「だからそれがどうしたの?」という強い印象が残ってしまうのではないか? 2日前の芸能ニュースなど誰も覚えていないし、覚える必要もないだろう。


もし徒労感や疲れ、あるいは健忘症があるならば、その人は<自閉的>になっているに違いない。そしていつしか「自然に還る」と言い出しかねない。そこに情報が限定された「静かな世界」を発見したがるだろうから。


そして、ここが真のアクセスポイントなのだが、この情報の高利貸し的な増殖は、ヒトに鋭い形での「興奮と錯乱」をもたらしてもいる。大脳新皮質の臨界の手前にいることで大いなる祭典を催している。それは混沌なのではない。あくまでいま関わっていることへの過度な没入と、関わっていることがすぐに変転することだ。それ現代の錯乱だろう。

「身」の構造―身体論を超えて (講談社学術文庫)
講談社
市川 浩


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