大人になること Out of the Childish

最近、ちょっと「いいこと」があった。


ウェブ上ではなくてリアルに自分をご存知の方はわかるかもしれないけれど、自分は「怒(おこ)る」のが大嫌い。説教も嫌い。聞くのも嫌いならするのも嫌い。怒るのが嫌いなのは、感情が大きく揺れすぎて、怒ったあとに「あんなに怒って、それは効果があったのだろうか?」と逆に悲しくなってしまうからだ。

説教に関しては、これをする(聴く、する)のを仕事にしている人、たとえば聖職者を除けばたいていの人は聴きたくないだろう。


それはさておき、大学受験生にも関わっていることもあり、その中での出来事。


ある受験生がいて、その子はかなり飲み込みがはやいにも関わらず、ぜんぜん勉強をしない。こういうことは、教えている側には手に取るようにわかるものなのだ。もっと言うと一般に教員という仕事は、それが出来なければまったく成り立たないような仕事。「教えている」側は、生徒や学生の意気込み、実際にどのくらい効率のいい勉学をしているか、これがはっきりわかる。

昨日何時間勉強したでしょう?ということが厳密にわかるということ。これが教員。

その女子、なんとなく切れ味がなくて、いまひとつな感じの高校生を見ていて、これは志望校には受からないだろうなと思っていたのが、春のこと。

その後、梅雨どきになってもぜんぜん変わらなかった。本人は、勉学の意思はある。でも怠けている。


それでさすがに、時間を取ってもらって、「キミ、このままの状態だと、行きたい大学にいけないし、場合によっては浪人するかもしれない」と言ってみた。もっと表現も強くした。これが怒るということなんだろうけれど。「自分の能力をちゃんと自分で開花させないのは、罪悪です」という意味のことを言った。

こういうことを正面切って口に出すのは、自己嫌悪であり、「そういう偉そうな言葉を垂れ流している自分自身はどうなのだ?」という心の声が、すぐ聞こえるから。


そのときはしかし、ここは言わなければならない、と思っていた。それで2年に1回くらいの「怒る」ということを無理にではあったけれどした。こちらは本気で怒っていますよと。

その言葉が効いたのかどうかわからないけれど、どうも次の週から目つきが変わっていたのはわかり、「ああ。怒るというのもいいことがあるのかもしれない」と自分を納得させる。




その後、秋になり、また長期予報が外れて例年より厳しい冬になり、最後の授業が終わる。ご存知でしょうが予備校の授業は、1月には終わる。そして授業が終わったあとに、その子が来て、いつになく殊勝に「ありがとうございました」と言いに来た。「あのとき怒ってくれてよかったです。助かりました」という。たしかに成績もうんと伸びている。もともと自己管理ができるような人なのだ。

「あのときは、いま言わないと、たぶん遅いことになると思ったからね」と素っ気なく返事をしておいた。でも効果があった、ということがとても嬉しかった。



大人になる、ということを避けようとしているいまの若い人たちが確実にいる。

その気持ちは自分なりに痛いほどわかる気がする。大人になるとは、なにかの可能性を捨て、なにかだけの可能性を開き、自己管理をすることだとすれば、子どもでいたい、というのもあながち甘えや依存とはいえない。

でも人生の中でなにかをやり遂げるには、子どもだけではだめなのだ。そんなことを思う。今日はセンター試験の初日。国公立だけでなく、私立大もかなり決まってしまうマーク式の試験日だ。運転免許の試験のような、味気のない内容だ。





ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 4

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス
ガッツ(がんばれ!)

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック