【書評】福嶋 亮大、『神話が考える』


神話が考える ネットワーク社会の文化論
青土社
福嶋亮大


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神話が考える。このタイトルを見て、レヴィ=ストロースのことを考えない人はいない。人には主体性などない。かりにあっても、それは神話素の対立の中で、同じような二項の組み合わせのバリエーションに過ぎない。人は神話の枠組みのなかではじめて働くのだ。

著者、福嶋さんのはじめての書。各章のバランスもいまひとつだし、話題もあちこちに跳ぶ。しかし、全体としてみれば、現在という時代を明らかにしている。


彼は、ボルツとルーマンの基本的な概念を使用しながら、独自のクリッピングをしている。まず背景にあるのは、現在の批評が「批評」になっていない、批評言語が確立されていない、という部分だろう。まったく同感。

いま起きている大きな変動に対して、それを語る語彙もないし、また有効な理論もまだない、というのが実際のところだろう。TVを分析する視点でネットワーク社会を分析しようとしても無理なのにもかかわらず。

そして低音部を構成するのは、「リベラル」だ。「リベラルな民主主義」に収束してゆくのが現代であり、その他には政治的バリエーションはないだろうと各所で述べている。





このことに注をつけてみよう。本当にそう言いきれるかどうか、自分にはかなり疑問である。それは経済、政治的な展開の限界が地肌を見せてきているからだ。
たとえば現在の国家資本主義は、リベラルな民主主義とどういう関係にあるのだろうか。また、新(再)中世化や、古代指向に関してどう考えているのか。

おそらく、言説全体がフロイトに拠点をもっている点からすれば、そういう政治的な視点はあまり重要ではないと考えているかもしれない。

そういう政治に関する「問題」や、「日本」や「西洋」を対比させていること、そして主語を「私たち」とすることなど、プレート部分にはやや疑念を差し挟まざるをえない。





しかし、その点を除けば、データベース化し、グーグル化した社会の分析になりえている。少なくともこの種の言説は読んだことはない。

とくに西尾維新の作品、『機動戦士ガンダム』、『東方project』といった作品分析から、データ化されたものとその変移や推移、加工、圧縮形態を明らかにした部分。ニコニコ動画をはじめ、いったいなにが行なわれているのかを鮮明にした点は本書の中核のひとつであろう。

同じような作品分析は柳田國男、ルイス・キャロル、村上春樹にも及ぼされる――おそらくこの電気泳動的な分析が「この本には歴史が欠けている」と確信させてしまうのだ。もちろんレヴィ=ストロース的であるなら、避けられないことではあるが。


これは現代文化に対する化学なのだ。コンタミネーションを出来るだけ取り去った理論化学。



全体的に、現在の文化活動が実は拘束的であり、狭い範囲での差異の作成に終始しているのだ、という印象を与えさせる。一言でいえば、「行き詰っている実感」をもらたしてしまう本ではある。
著者はその点をよくわかっていて、「より多くの意味を! より多くの神話を!」(p.289)と叫ぶのだろう。多少の悲壮感すら漂わせて。








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