最近の歴史学の変化について Complexity and History

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歴史は固定的なものではない。そのことについてはこれまでさんざん書かれ、また言われてきた。歴史は現在の視点から過去を見ることだ。歴史のなかに因果関係やある種に法則性を探そうとする。もちろん、数本の式で表せるような法則ではないかもしれないが、そこに必然的な変化の型を見出そうとしてきた。

たとえば、これは歴史学そのものではないが、惜しくも亡くなった梅棹忠夫氏は、文化が気候や植生といったことで文化の性格が規定されるとする生態論を文明に適応した。これは決定論的な世界観であるともいえる。

大陸の端にある文化圏は、より大きな文明、イスラームや中国の文明の影響をもろに被る。そしてその大きな文明は、乾燥地帯を抱えている、ということだ。ここからなぜ大陸の端にある地域、つまり西欧と日本が近代化しえたのかが説明できる、とする。


ところが最近になって歴史学は非常に大きく変化したといっていいだろう。つまり、トインビーのような刺激と反応という簡略化したモデルで説明しようとはしなくなってきている。また上記のように決定論的ではなくなってきている。


直接的には、自然科学が物事を説明する方向にとても近くなっている。それは一般的には、複雑系と呼ばれる説明モデルだ。原因と結果は見かけのようには対応しない。ほんの些細な行動、出来事が、とても大きな現象にまで発展するときもある。また些細ゆえに、そのまま静かに消滅してゆくこともある。そういう世界観だ。

もう一方では、歴史的要素そのものが、相互に影響しあい、その空間の質を変質させてゆく。歴史は単純な原因と結果ではない。合理的な説明がしにくいもにまで分析してゆこうというのが現在の歴史、あるいは歴史学だろうと呼んでいいだろう。

たとえば、ニーアル・ファーガソンNiall Fergusonの論文をあげてみよう。その名も「複雑系と崩壊 混沌に立つ帝国」だ。


ファーガソンはこの論文のなかで、トマス・コールの絵画を使いながら、帝国の崩壊が一度始まりだすときわめてはやいことを述べている。またより現在に近いことでいえば、第一次世界大戦や、9/11、金融危機が、その少し前の出来事から導かれていることを指摘する。ここには不安定さと安定さの両方がある。しかし歴史の説明の仕方はやや概観的であり、精緻さには欠けている。


またグライフの制度分析は、より厳密さを増している。ある条件の中で歴史は動くが、その条件の内部の動きはゲーム理論的であるとするものだ。(こちらはまた別に評を加えたいところだ)。


どちらにせよ、こういう論文が書かれていること自体、歴史学が、訓詁や、裏を取る作業だけではなく、そこから大きく飛翔し、サイエンスのほうにさらに近づいているのが伺える。


ここでもう少し推測をしてみよう。

もともと、サイエンスは、その時代の想像力の限界を形作っていた。テクノロジーによって形成された類推の力。これを歴史に当てはめていた。逆に歴史が人々の想像力の源泉になってもいた。たとえば現在であれば、「脳はネットワーク状になっている」と考えられているが、それは現在のテクノロジーの中核にネットワーク的思考があるからだろう。

そういう意味では、歴史学も単体で存在しているのではなく、突然起きた小さなことが、大きなことに一気につながってゆくかもしれないという世界の見方の反映なのだろう。


なおファーガソンは多作の人で、日本語訳も一部出ている。

憎悪の世紀 上巻―なぜ20世紀は世界的殺戮の場となったのか
早川書房
ニーアル・ファーガソン


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言及した論文はこちらです :
http://www.foreignaffairs.com/articles/65987/niall-ferguson/complexity-and-collapse




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