幻想 The Imaginary

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幻想的であること。想像力を駆使するなかで、なにかストーリーや映像を思いつく。もしそれが現実にならなくても、頭の中で人を高揚させる。それが幻想だ。

幻想の役割は一般的に軽視されている。場合によっては「無駄なものだ」とはっきり口に出される。現実をみよ。あたまを冷やせ。現実逃避をするな。こういう表現が、蝶や蛾のように上空を飛びかう。


しかし、少しだけふりかえると、この幻想が世の中を支えていることに気がつくだろう。現実からいったん距離を置き、イメージの世界に侵入してゆくなかで。


たとえば、革命的な新製品は幻想が現実化したものだ。偶然をともなうセレンディピティーかどうかはさておき、たまたま、あるいは理由があって生まれた幻想を誰かが書く。画にする。設計図に、論文に、脚本に、ファイルに、企画書に、仮の仕様書にする。そこから実際に作品が生まれ、物語が生まれ、ヒットする商品が生まれ、新しいテクノロジーが生まれる。


幻想自体に、現実を用意する能力が秘められている。しばらく前には妄想という一言で、自嘲とともに片付けられていた幻想。

しかし同時に、この幻想がすべての争いの根源でもあるから厄介なのだ。宗教とは、信者以外には幻想だ。社会的制度を壊せるのも、法的システムをささえたり、また亀裂をいれたりできるのも、これもまた幻想の力だ。幻想がしばしば敵視されるのは、この暴力的な力によるのだろう。

ここに書かれている文字のつながり自体は現実だが、読まれた内容そのものは幻想の水準に属している。




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